「バガヴァッド・ギーター 第2章 ギーター全体の要約」
- 2019.04.01
こんにちは!
新しい元号が「令和」に決まりました。
出典は万葉集ということで、「和」という漢字に日本の古き伝統、「レイワ」という言葉の響きに新しい時代の希望を感じます。誰もが幸福を感じる時代になってほしいものです。
さて、ヨーガ禅集中講座で学んだ内容をお伝えしています。
本日も、成川先生の資料「バガヴァッド・ギーター(神の詩)」より抜粋。
(縁者同士の戦いの始まりを嘆き悲しむアルジュナに、クリシュナは何と言ったのでしょう?)
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聖バガヴァッドは告げた。
あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。(二)
私は決して存在しなかったことはない。あなたも、ここにいる王たちも……。また、我々はすべて、これから先、存在しなくなることはない。(一二)
主体(個我)(デーヒン)はこの身体において、少年期、青年期、老年期を経る。そしてまた、他の身体を得る。賢者はここにおいて迷うことはない。(一三)
彼は決して生まれず、死ぬこともない。彼は生じたこともなく、また存在しなくなることもない。不生、常住、永遠であり、太古より存する。身体が殺されても、彼は殺されることがない。(二〇)
また、彼が常に生まれ、常に死ぬとあなたが考えるとしても、彼について嘆くべきではない。(二六)
生まれた者に死は必定であり、死んだ者に生は必定であるから。それ故、不可避のことがらについて、あなたは嘆くべきではない。(二七)
あらゆる者の身体にあるこの主体(個我)は、常に殺されることがない。それ故、あなたは万物について嘆くべきではない。(三〇)
更にまた、あなたは自己の義務(ダルマ)を考慮しても、戦慄く(おののく)べきではない。というのは、クシャトリア(王族、士族)にとって、義務に基づく戦いに勝るものは他にないから。(三一)
苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。(三八)
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また、無為に執着してはならぬ。(四七)
アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる。(四八)
人が感官の対象を思う時、それらに対する執着が彼に生ずる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生ずる。(六二)
怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生ずる。記憶の混乱から知性の喪失が生じ、知性の喪失から人は破壊する。(六三)
愛憎を離れた、自己の支配下にある感官により対象に向いつつ、自己を制した人は平安に達する。(六四)
平安において、彼のすべての苦は滅する。心が静まった人の知性は速やかに確立するから。(六五)
それ故、勇士よ、すべての感官をその対象から収めた時、その人の智慧は確立する。(六八)
万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。(六九)
すべての欲望を捨て、願望なく、「私のもの」という思いなく、我執なく行動すれば、その人は寂静に達する。(七一)
アルジュナよ、これがブラフマン(梵)の境地である。それに達すれば迷うことはない。臨終のときにおいても、この境地にあれば、ブラフマンにおける涅槃に達する。(七二)
上村勝彦訳 『バガヴァッド・ギーター』
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あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また、無為に執着してはならぬ。(四七)
アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる。(四八)
「ヨーガは平等の境地である」なのだそうです。
私たちの心はどうしても「今、ここ」から離れて、過去や未来、別な場所に飛んで、行為の結果を期待したり不安に思ったりしてしまいがちです。
今、自分がなすべきことをこだわりなくこなしていくことが「ヨーガの平等の境地」なのでしょうね・・・・・・。
さて、少し、瞑想してクリシュナの言葉を反芻しましょうか?
次回は、第三章 カルマ・ヨーガです。
よろしくお願いします。