「バガヴァッド・ギーター 第4章 知識と行為」
- 2019.04.03
こんにちは!
2018年度ヨーガ禅道友会集中講座で学んだことをお伝えしています。
本日も成川先生の理論研修でいただいた資料「バガヴァッド・ギーター(神の詩)」より抜粋します。
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第四章 知識と行為
聖バガヴァットは告げた。―――
私は多くの生を経て来た。あなたもそうだ。アルジュナよ。私はそれらをすべて知っている。だがあなたは知らない。(五)
私は不生であり、その本性は不変、万物の主であるが、自己のプラクリティ(根本原質)に依存して、自己の幻力(マーヤー)により出現する。(六)
実に、美徳(ダルマ)(正法)が衰え、不徳(アダルマ)(非法)が栄える時、私は自身を現わすのである。(七)
善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私は世期(ユガ)ごとに出現する。(八)
私の神的な出生と行為を、このように如実に知る者は、身体を捨てた後、再生することなく、私のもとに来る。(九)
愛執、恐怖、怒りを離れ、私に専念し、私に帰依する多くの者は、知識という苦行(熱力)によって浄化され、私の状態に達する。(一〇)
行為の結果への執着を捨て、常に充足し、他に頼らぬ人は、たとい行為に従事しても、何も行為をしていない。(二〇)
願望なく、心身を制御し、すべての所有を捨てた人は、ただ身体的行為をなしつつ、罪にいたることはない。(二一)
たまたま得たものに満足し、相対的なものを超え、妬み(不満)を離れ、成功と不成功を平等(同一)に見る人は、行為をしても束縛されない。(二二)
執着を離れ、〔束縛から〕解放され、その心が知識において確立し、祭祀のために行為する人にとって、その行為は完全に解消する。(二三)
〔行為の〕ヨーガにより行為を放擲し、知識により疑惑を絶ち、自己を制御した人を、諸行為は束縛しない。(四一)
それ故、知識の剣により、無知から生じた、自己の心にある疑惑を断ち、〔行為の〕ヨーガに依拠せよ。立ち上れ、アルジュナ。(四二)
上村勝彦訳『バガヴァッド・ギーター』
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聞きなれない言葉が出てきましたね。
放擲(ほうてき)……投げやりにする。うち捨てる。
依拠(いきょ)………ものごとの根拠としてたよる。また、よりどころとするもの。
知識により疑惑を絶ち、自己を制御した人
様々な価値観のある社会生活の中で、ネガティブな気持ちになったり、快くない思いを持ったりすることは、止むを得ないことかもしれませんが、ストレスとなるその嫌な感覚から離れるために、どのように対処していけば良いのでしょうか?
美味しいものを食べる?スポーツをする?趣味に没頭する?テレビやDVD、映画などを見る?
いろいろな方法があるかもしれませんが、もう一つ、「勉強する。知識を身に付ける。」というのもあります。
脳の別な場所が活発に刺激されるのでしょう。勉強している時間は、不思議にも様々な思いから離れることができます。
(それでもストレス解消できない……という重症な方は、もちろん、ヨーガです!!!)
「理想の自分=本来の自分」
本来の自分になるのを邪魔するネガティブな重い思い(過去世、過去の経験、憑いた霊などが生じさせてきます)を「これは私ではない」と気づいたら放擲し続け、明るい光と愛、思いやりと良心に満ち溢れた本来の自分に依拠し続けて、さっぱりとさわやかに残りの人生を歩んでいきたいものです。