【Ohanaブログ】「インド伝統思想とヨーガ禅の本質」Ⅰ|草津市でゆったりヨガをはじめるなら【ヨガサークル Ohana】

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「インド伝統思想とヨーガ禅の本質」Ⅰ

2019.05.03 

こんにちは!

 

これからまたしばらくの間、ヨーガ禅道友会の集中講座で学んだ内容についてご紹介していきます。

 

本日は、ヨーガ禅道友会現会長である八田捷也先生の「インド伝統思想とヨーガ禅の本質」という講義でいただいた資料から、佐保田鶴治先生が「ヨーガは宗教である」と捉えられた理由ついてお伝えします。

 

 

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Ⅰ「ヨーガは宗教である」と定義を下した理由について(”ヨーガの宗教理念”p.206~)

 

1.ヨーガと宗教

 

(1)ヨーガとは何たるかを一言でのべると、ヨーガは宗教の一種であるということになる。

この場合の宗教とは、

 

「自分自身(真我)に帰ろうとする人間意識の努力のこと」

 

心の働きを主観の方へ振り向けて、どこまでも深く自分にせまってゆこうとする努力である。

⇒(この言葉には実に現代の常識では思いもつかない内容が盛られているのである。それは、科学とは正反対の方向を持った人間努力でなければならない、ということである。)

 

(2)外的宗教と内的宗教

「外的宗教」とは、一般に宗教といわれているもので、宗教団体教、教理、信条、経典などである。「内的宗教」とはいうのは、各個人の心の内に築き上げられた信念、人生観など、各人の生活を力強く、しかも平静に進行させる原動力となるものである。

 

言うまでもなく、宗教の本命はこの内的宗教にあるのであって、外的宗教は内的宗教の手段・方法に過ぎない。無宗教、無神論の思想も場合によっては内的宗教の原因になりうるのである。真の宗教にとっては教団も信条もなくてはならぬ条件ではない。・・・

 

(3)ヨーガと科学、主観的手法と客観的手法

現代は科学万能の時代であるから、客観性ということは万事につけて重んじられ、その反対の主観性というものは軽蔑され無視されている。主観的という語は不合理な迷信や妄想を表す形容詞のように思われがちである。しかしながら、我々一人ひとりにとって何物にもまして大切な自分というものは、いわゆる客観的な仕方では永久につかまえることはできないのである。・・・だから、真の自己すなわち人間実存はそういう方法とは全く別の仕方で追求しなければならないということである。

 

この仕方を主観的とよんで、科学などで使う客観的な仕方から区別するならば、主観的な心の使い方というのは通例の思考とは全く別種のものである。これを主観的、または内向的な思考とよぶとしても、普通に言われる思考とは似ても似つかぬものであることを忘れてはならない。・・・

 

言うまでもなく現代人が作り上げた科学は偉大であるが、しかし、科学知識と科学技術だけでは、人間は結局は幸福になれない。それどころか、科学的な人間解釈と科学的技術による科学造成は、人間を不幸と滅亡の深淵へさそい込みつつある。

 

科学だけで人類を幸福にし、地上に天国を築き上げることができると考える科学万能主義や唯物論は巨大な迷信であること現代に至っては気づかれ始めている。

 

しかし、それは科学の罪ではない。科学だけを独走させた人間が悪いのである。人類は科学的努力と並行して、別種の精神的努力を怠ってはならなかったのである。

それは真の自己探求をする道で、古来の偉大な賢者たちによって既に開かれていたのであるが、近代人はこの道を忘れ、軽蔑さえする。近代人は人間を理解しえず、人間をただ一個の客体として捉えているだけである。近代人は人間疎外という語を口にするけれども、科学的に人間を取り扱うことが人間疎外に他ならない。

 

人間を本当に理解するには科学の行き方の逆の方向、つまり主観的な立場での精神的努力が必要なのである。それはどんな努力であるかといえば、客観的な仕方ではいつも背後にかくれて捉えることができない純粋主観的な自己に近づき、しまいにはそれに到達する仕方の努力である。この仕方は一般に瞑想とよばれる。瞑想は一応知性の働きによるが、しかし、瞑想のねらいは精神作用の働きのすべてを滅ぼすことにある。

 

その最後の段階が三昧とかコンテンプレーションとよばれる境地である。「ヨーガは宗教である」という場合の宗教とはまさにこの瞑想、三昧を意味しているのである。

 

最後に、ヨーガの体操は瞑想への準備であるだけでなく、瞑想を中心的要素としていることを注意しておこう。瞑想的要素を含むからこそ、ヨーガは他の体操とは違っているのであり、またそれ故にこそヨーガ体操は健康法としてすばらしい業績を上げているのである。以上のような理由で、われわれは「ヨーガは宗教である」という定義を下したのである。

 

 

 

2.ヨーガの流派

ラージャ・ヨーガ:心理的

ハタ・ヨガ:生理的

ジュニャーナ・ヨーガ:哲学的

カルマ・ヨーガ:倫理的

バクティ・ヨーガ:信仰的

クンダリニー・ヨーガ:超心理的

マントラ・ヨーガ:呪法的

(以上、”ヨーガの宗教理念”204p~210p)

 

 

 

3.宗教と哲学

この二つの流派のヨーガ(ラージャ・ヨーガ及びハタ・ヨーガ)は宗教であるよりも、むしろ科学である。ここでは、一定の教理や信条を押し付けられもしないし、全知全能の神を信ずる必要もない。しかし、これらの流派にしても、その究極目的が、人間実存の絶対的自由の取得にあるという点では、やはり宗教なのである。(”ヨーガのすすめ”24p)

 

ヨーガの技法の根本は、外界の刺激に応じて瞬間ごとに散漫に移り変わってゆく近く器官の働きをおさえて、心のより深い内面の働きの発動を促進することにある。この心理的な作用を組織立てた先駆者たちは、これをヨーガと呼んだ。(”ヨーガのすすめ”22p)

 

 

 

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八田先生の優しい語り口と、先生の周囲に拡がる何もかも包み込んで癒してくださる柔らかいオーラを思い出します。

 

 

「ヨーガは宗教である」と説かれた佐保田鶴治先生のお言葉は、ヨーガを修習していくうちに誰でも自然に受け入れられていくような気がします。

 柔らかくどこまでも平和に広がる純粋意識。瞑想でじっくり探求していきましょう!

 

 

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