ヨーガ・スートラ 1・42
- 2023.09.11
1・42 〔有尋定(うじんじょう)〕 定のなかで、語とその示す客体とそれに関する知(観念)とを区別する分別知が混じているものは有尋とよばれる。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著
佐保田鶴治先生の解説より~~~
~~~ここでは尋は語と客体と観念を区別する知とされている。真智は語、客体、観念の三者の未分の上に成り立つ無分別知でなければならない。~~~
42 名称と形態、およびそれらに関する知識が混入しているサマーディが、サヴィタルカ・サマーディすなわち思慮を伴うサマーディ〔有尋三昧〕と呼ばれる。「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳
スワミ・サッチダーナンダの解説より~~~
~~~普通われわれがある音を聞くときには、それらの三者つまり、(1)ある言葉を聞く、(2)その音が表す対象(もの)の理解を試みる、(3)その対象の知識を得る、という三つのことが同時に起こる。~~~ところがこのサマーディでは、それらの三者を別々にとらえることができる。つまりそのプロセスを好きなところで止めることができるのである。
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スワミ・サッチーナンダは、「犬」という具体例をあげて分かりやすく説明してくれています。私たちは普通、①”イヌ”という言葉の音、 ②”犬”の姿形、③”犬”の性質など、別々に分けて理解しています。これが有尋の状態だそうです。
「バラ」でも考えてみましょう。
「ば」と「ら」という音が聞こえる。⇒「薔薇の花」をイメージする。⇒ 「バラの香り」「バラのとげ」「花束になったバラ」などをイメージする ⇒「バラ」を私は知っている・・・という感じでしょうか。
ところで、私たちは一人一人、自分の名前を持っています。ちなみに私は「みさこ」です。
私が大学生のとき、突然、母から名前を変えるように言われました。何でも、「みさこ」という名前は鑑定上良くない。信頼する占い師さんに「なおこ」と付けてもらったので、これからは「なおこ」と名乗りなさい、と言うのです。そのときは、冗談でしょ?私は「みさこ」でいいよ。今更何で名前を変えるの?と「なおこ」になるのは断りました。母は懇願してきましたが、結局、「なおこ」という名前の出番はなく、私はずっと「みさこ」です。
でも、この頃は少し思い直すようになりました。芸能人のように、自分の名前を好きに変えてふるまってみるのも、人生を変えるきっかけになるかもしれません。「○〇さん」という自分の枠、自分の性質の中から飛び出して、別な自分に出会えるかもしれません。
瞑想していると、自分の固定観念に気付き、その部分をリセットすることができます。
別に「なおこ」もいいかな・・・私の本質が変わるわけではないし・・・という感じで、自分のルールが広がり自由になります。(花)