ヨーガ・スートラ 1・41
- 2023.09.10
1・41 かくして心の作用がすべて消え去ったならば、あたかも透明な宝石がそのかたわらの花などの色に染まるように、心は認識主体(真我)、認識器具(心理器官)、認識対象のうちのどれかの上にとどまって、それに染まる。これが定(じょう)と呼ばれるものである。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著
佐保田鶴治先生の解説より~~~
定(サマーパティ)は三昧というのと内容に於いてはちがわない。~~~
41 自然の透明な水晶がかたわらに置かれた物の色や形をとるように、作用が完全に衰微したヨーギーの心は、澄明・静然となって、知るものと知られるものと知との区別のない状態に達する。この瞑想の極点が、サマーディ〔三昧〕である。「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳
スワミ・サッチダーナンダの解説より~~~
~~~絶え間ない瞑想によって一つの観念を育んでいくと、他の想念や欲望は徐々に消えていく。~~~集中や瞑想というのはまた、そうでなければならないのだ。~~~心は完全に吸い込まれて、瞑想中の観念つまり対象の中に失われる。~~~
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「瞑想が終わったときは、ゼロになった気がします。」
滋賀リビングカルチャー倶楽部「はじめてのヨガ」を受講生された方からいただいた言葉です。
年齢が上がるほど、瞑想中に何かに集中することが難しくなります。過去や日頃の経験からくる悩み事は増え、将来や日常生活における心配事が大きくなるからです。目を瞑ったと同時に、それらの雑念が嵐のように襲ってきます。
ただ、ヨガのポーズをいくつか実習した後は、雑念に振り回されることは少なくなり、瞑想に集中し易くなります。瞑想後は気持ちが落ち着き、心配事や悩み事から解放されて、心が「ゼロ」な状態になります。そして、日常の生活にすんなりと戻り、何事に対してもたんたんと対処し易くなります。
瞑想に時間を使うことは、現実を直視しないで「逃げている」のではないか、と思ったこともありました。しかし、瞑想することで、一旦、現実から積極的に逃げ、問題から遠ざかることで、自分の心が中立化し、改めて現実を素直に受け入れられる態勢が整うことに気付きました。瞑想をはさむと、苦だと思っていたことが楽に解決できる。苦も楽も同じ感じです。
瞑想を習慣にしない手はありません。(花)