【Ohanaブログ】ヨーガ・スートラ 2・17|草津市でゆったりヨガをはじめるなら【ヨガサークル Ohana】

Ohanaブログ

ヨーガ・スートラ 2・17

2024.01.26 

2・17 〔見るものと見られるもの〕見るものと見られるものとの結合こそが、除去すべき苦の原因である。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著

佐保田鶴治先生の解説より~~~

 見るものとは真我のことである。見られるものというのは、2・18で説かれているように、三種のグナ〔徳・エネルギー〕から成り、そして五大(元素)十根(心理器官)等の形に自分を転変しているところのプラクリティ(自性、根源的自然)のことである。しかし、それら見られるもの(客観的存在)のなかで、苦の存在に直接的な関係をもつのは覚(ブッディ)のサットヴァである。覚のサットヴァというのは、覚すなわち最高心理器官を構成している三種のグナのなかの、明るく軽い性格のグナのことである。この覚のサットヴァと真我との間には無始以来の結合関係がある。その関係というのは、真我は覚のサットヴァに自己の光を投ずることによって、サットヴァが外界からの印象に応じて作り出すいろいろな形像に認知を与えて、意識性を具えた心像にすることである。覚は元来無意識性の原理であるが、真我と関係することによって意識性を帯び、心理現象の場になる。煩悩を始めとする一切の心理現象も、またその結果である業や業報も、すべては真我と覚とのいわば腐れ縁の上に咲いたあだ花である。それで、両者の結合こそが苦の原因であるといわれるのである

 この関係を理解するにはサーンキャ哲学の根本理論を知る必要がある。真我と覚との結合関係は、自性が真我に経験と解脱とを味わわせるために、自ら真我の臣下たる役目を買って出たところに成立したのである。しかし、もしも真我が、自分と自性とが全然無縁の他人であることを知っていたならば、彼は自性の術策に陥るはずもなく、従って両者の結びつきは成り立たなかったはずである。だから、この両者の結合は真我の側に於ける無知を前提としているともいえる。自己の実相を自覚しない真我は、自性の展開形態である覚のサットヴァの上に映じた自分の影を自分自身だと思いちがいをする。ところで、覚はサットヴァの外にラジャスとタマスという二つのグナを不可欠の因子としてもっている。ラジャス(憂徳)は不安、憂苦を本質とするエネルギーであるから、このグナがサットヴァにはたらきかける時、サットヴァは苦の色彩を帯びる。従って、覚のサットヴァ・グナの上に映じた真我の影もまた苦の色彩に染められる。無自覚な真我は、この苦に色どられた影を見て、自分が苦しんでいるとうけとる。これが「苦の原因」ということの形而上学的な意味である。これによれば、苦の原因は要するに根本的な無知すなわち根本無明にあるということになる。根本無明とは真我と覚との区別を知らないことであるから、両者の別をはっきり知ることが真我独存という解脱境に至る門であるということになる。

 

 

 

17 その避け得る苦の原因は、見るもの【プルシャ】と見られるもの【プラクリティ、自然】の結合である。「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳

 

*****************************************

 

数年前に受講したヨーガ禅道友会のヨーガ研修で、このスートラにおける佐保田先生の解説がとても重要だと教わり、解説全文をそのまま掲載しました。

「本来の私(真我)」は、肉体でも心でもないというわけです。私の身体、私の心、私の思い、私の感情、それらが私だと勘違いしているところに「苦」が生じるのだそうです。このことを理解すると、何だか気持ちが楽になりませんか?

前のページへ戻る

お電話・LINEでのご予約077-566-1706open/10:00~19:30 日曜・祝日休み

※営業電話はご遠慮いただいております。

LINE@mikokosa友達を追加

ヨガサークルOhana
〒525-0023
滋賀県草津市平井2丁目1-38

草津市にあるヨガサークル Ohanaは、心身の健康とストレスの緩和、リラックス・癒しの時間を求めている方へヨガをおすすめしています。ヨガを通して自分を見つめなおし、本来の明るい自分を取り戻しませんか?初心者の方でもゆっくり学べる環境がここにはあります。

  • スクールに関するお問い合わせはこちらMailform
  • facebook

ご予約はこちらから

pagetop