ヨーガ・スートラ 2・25
- 2024.04.22
2・25 従って、無明がなくなった時には、見るものと見られるものとの結合も無くなる。これが除去というものであり、見るものの独存位である。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著
佐保田鶴治先生の解説より~~~
~~~独存位というのは真我が他の何者とも結びつくことなく、自分だけで存在する状態のことである。~~~真我は本来自由、清浄、不変、遍在の絶対者であるから、見られるものとの結びつきさえ無くなれば、自己本来の状態にかえるのである。その時、真我に結びついていた覚等もまた御役目御免となって転変から解放されるから、ここにも解脱がある。~~~
25 この無知がなければ、そのような結合も起こらない。それが見る者の独存位である。「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳
スワミ・サッチダーナンダの解説より~~~
~~~われわれはまったく心ではないということを、知らねばならない。われわれは永遠に自由なのだ。われわれはけっして縛られてはいない。
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辛いと思うことの中に体ごと飛び込む、すると辛さはなくなる
宇野千代「幸福は幸福を呼ぶ」集英社文庫より
ヨガの瞑想中、雑念がやってきて、どうにもこうにも集中できないときがあります。そんなときは、その雑念に集中してみる。すると、雑念を持っているのは誰か、この雑念はどこからやってきたのか、いつからこの雑念に取りつかれているのか、どうしてこの事ばかり考えてしまうのか。雑念に支配されている理由な何か、この雑念は私に何を感じさせているのか、などと雑念に向かって集中します。別なところからそれを眺めているもう一人の自分に気付くと、雑念の方から離れてくれることがあります。