ヨーガ・スートラ 2・32
- 2024.05.03
2・32 勧戒には、(1)清浄、(2)知足、(3)苦行、(4)読誦、(5)自在神への祈念の五つがある。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著
佐保田鶴治先生の解説より~~~
勧戒(ニヤマ)は単に対自的な心得である。~~~
清浄(シャーウチャ)とは肉体と心の両方を清潔に保つことである。行者は日に三度水に入って身体を清める。心の浄化には特に、慈、悲等の方法(1・33以下参照)が使用される。
知足(サントーシャ)とは、生命をつなぐに足るだけのものがあれば満足し、それ以上をあえて求めないという態度である。これは宗教上の心得として、あらゆる宗教でとりあげられている。 ~~~
32 ニヤマ〔勧戒〕は、清浄(シャウチャー)、知足(サントーシャ)、苦行(タパス)【苦痛を受容し、それをひき起こさないこと】、読誦(スヴァディアーヤ)【霊的書物の研究】、自在神への祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)【自己放棄】より成る。インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳
スワミ・サッチダーナンダの解説より~~~
~~~霊的生活はすべて、これらのものを礎とするべきである。それらはそれなしにはけっして永続的なものを打ち立てることのできない礎石なのである。
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〔対自的な宗教的訓育原理〕
ほとんどの日本人は、”宗教”という言葉を聞くと、身構えてしまうと思います。
なぜなら、「宗教=だまされて洗脳されてしまう怖いもの」という固定観念が根強いからです。
佐保田鶴治先生は、きっぱりと「ヨーガは宗教である。」とおっしゃています。
「本来、”宗教心”とは何か?」について、”宗教”という言葉から遠ざかってしまっている私たちは、今一度考えてみるのは、自分の人生をより良くしていくためにも価値がありそうです。
~~~以下、ヨーガ禅道友会「道友」より抜粋~~~
ヨーガ禅の原点 ヨーガは宗教である
宗教というのは、各人のなかにある人生をいきぬくに充分な強く固い信念を生みつけてくれる教えである。
無宗教の人というのは、確固たる信念を以て生きていくことのできない人間のことである。
もしも、不動の信念を生育させてくれる教えがあるならば、世間でなんといおうと、それはその人にとって宗教である。これに反して、世間でいかに立派な宗教として通用しようと、力強く生きる信念を与えてくれないならば、それはその人にとって、宗教ではない。
信者を恐怖心で釣るような宗教は邪教である。
宗教が、人類社会にとって今日ほど必要なときはないのに、なんと、似非宗教や邪教の類の多いことであろう。
ヨーガ禅は完全なる宗教である。
宗教は、単にことばだけの教えや、知性だけの操作ではない。肉体と精神の両面にわたっての指導でなければならない。
真の宗教は宇宙の道である。民族や時代や特殊な思想、観念に条件づけられていてはならない。真の宗教はあらゆる歴史的宗教を受け入れ、他の宗教が邪悪でない限り、それらに対して不寛容ではないはずである。
かかる宗教として、ヨーガ禅の道を世に提唱する。
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