2023年1月のブログ記事一覧
- ヨーガ・スートラ 1・19
- 2023.01.19
- 1・19 神霊たちと、自性に没入した人々とには自然発生的な無想三昧がある。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著 佐保田鶴治先生の解説より~~ インド的思考において神々も絶対者ではない。彼らも輪廻の運命を逃れることはできないのである。自性に没入した人というのは、解脱を誤解したために死後自性から展開した我...
- ヨーガ・スートラ 1・18
- 2023.01.15
- 1・18 もう一つの三昧は心の動きを止める想念を修習した結果生じた境地で、もはや行だけしか残っていない。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著 18 心の作用の完全停止が確固不抜に修められることによって、後に残るのは印象〔サンスカーラ、行〕のみとなる。これがいま一つのサマーディ【アサムブラジ...
- ヨーガ・スートラ1・17
- 2023.01.14
- 1・17 三昧のうちで、尋、伺、楽、我想などの意識を伴っているものは、「有想」とよばれる。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著 17 サムプラジュナータ・サマーディ【区別ある三昧】〔有想三昧〕には、論証性〔尋〕、反射〔伺〕、歓喜〔楽〕、および純粋な我―性〔我想〕が伴う。 「インテグラル・ヨ...
- ヨーガ・スートラ1・16
- 2023.01.12
- 1・16 離欲の最高のものは、真我についての真智を得た人がいだくものであって、三徳そのものに対する愛着からさえも離れることである。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著 16 プルシャ【真の自己】の悟得によってグナ【自然の構成要素】に対してさえ渇望のなくなったとき、それが至上の...
- ヨーガ・スートラ1・15
- 2023.01.09
- 1・15 離欲とは、現に見たり、或は伝え聞いたりした対象のすべてに対して無欲になった人がいだく、克己者たる自覚である。「ヨーガ根本教典」佐保田鶴治著 15 見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が離欲〔無執着〕である。 「インテグラル・ヨーガ」スワ...
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- ヨーガ・スートラ 1・30
(2023.03.01) - ヨーガ・スートラ 1・29
(2023.02.23) - ヨーガ・スートラ 1・28
(2023.02.21) - ヨーガ・スートラ 1・27
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(2023.02.19) - ヨーガ・スートラ 1・25
(2023.02.17) - ヨーガ・スートラ 1・24
(2023.02.16) - ヨーガ・スートラ 1・23
(2023.02.15) - ヨーガ・スートラ 1・22
(2023.02.14) - ヨーガ・スートラ 1・21
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